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WORLD TREK2 L5 現状を変え、人生を変える

Part1

「なぜこんなにも多くの人が
 ゴミ捨て場で働かねばならないのか?」
カテウラの巨大なゴミ処理地をみて、
ファビオ・チャベスは悲しく感じました。
彼はこの地の人々に、
より効率的にごみをリサイクルする方法を教えるため、
この街に来ていました。

カテウラは、
ラテンアメリカで最も貧しいスラム街の一つです。
長年にわたってそこは、
パラグアイの首都アスンシオンのためのゴミ捨て場でした。
毎日何トンものゴミがトラックで搬入されます。
人々は使えるものや売れるものを求めて
ゴミの中を探し回ります。
彼らの中には、生涯この仕事をし続けている人もいます。

ファビオはカテウラについてわかるにつれて、
子供たちのことが心配になりました。
カテウラの子供の10人中4人は、
学校を卒業できません。
彼らの中には犯罪に関わるものもいます。
「この子供たちのために、
 何か私にできることはないのだろうか?」
とファビオは思いました。


Part2

「この子供たちに音楽を教えてはどうだろうか?
 それが私にできることだ。」
とファビオは思いました。
彼は長年、音楽をたしなみ、教えていました。
彼は、人を救うその力を知っていました。

彼は、楽器を借りてきて
音楽学校を開くことにしました。
学校は急速に拡大しました。
さらに多くの楽器が必要でしたが
それらは高価でした。

ファビオはこの問題について、
リサイクル業者(ゴミ拾い)のコーラと議論しました。
コーラはゴミの断片から何かものを作るのが上手でした。
「私たちにはあまりお金がないけど、
 ごみならたくさんある。」とコーラは言いました。
「ゴミから楽器を作るのはどうだろうか?」

ファビオはこのアイデアを気に入りました。
コーラはブリキ缶を見つけて、
それを楽器の胴体に作り変えました。
彼は、古い材木を楽器のネックに変えました。
すぐにバイオリンが誕生しました。
その響きは、すばらしいものでした!
それ以来、他にも多くの素晴らしい楽器が
コーラによって作られています。


Part3

子供たちの生活は、音楽を通して変わりました。
ファビオが来るまで、
彼らの多くは希望もなく生き続けていました。
今や彼らの生活は、希望と夢でいっぱいです。
彼らはまた、
努力することや協力することの大切さも学びました。
年上の子供たちが、年下の子供たちに教えます。

彼らの一人はこう言います。
「バイオリンを演奏すると、私はここではない
 どこか美しい場所にいるように感じます。
 そこにゴミは(全く)ありません。
 私はいつか音楽教師になって、
 子供たちに音楽を教えたいのです。」

ファビオの学校には、
今150人を超える生徒がいます。
彼らは『ランドフィル(ゴミ)ハーモニック』
と呼ばれるオーケストラを結成しました。
それは、世界中でコンサートを開いています。
ファビオと子供たちは、
何万人もの人々を楽しませました。
「世界は私たちにゴミを送りつける。
 私たちは、音楽を送り返す。」
とファビオは言います。

WORLD TREK2 L6 夢に向かってレース (1)

井原慶子

Part 1

車(列)はスタートラインに(並んで)いました。
その場の空気は緊張で満たされていました。
すると、信号が緑色に変わりました。
エンジンが雷鳴をとどろかし、
コースへと急発進しました。

大学生だった時、
私は初めてサーキットを訪れました。
それまでこれほど強烈なことを
私は経験したことがありませんでした。
「彼らは命をかけている。」と私は思いました。
レースカーのドライバーになりたいという気持ちに
気付いたのはその瞬間でした。

その後すぐ、
私は教習所へ行って運転免許をとりました。
それから運転技術を向上させるために
あらゆる機会を利用しました。
しかし問題は、
どうすればプロのレースカーのドライバーに
なれるかということでした。
「女の子には危険すぎる。」そして
「あなたは年を取り過ぎている。」
とみんなが言いました。
ほとんどのレーサーは、6,7歳で訓練を始めますが、
その場合でさえほんの僅かしかプロになれません。
現実を知れば知るほど、
ますます私がレーサーになることは困難に思われました。


Part 2

大学を卒業後、私はモデルとして働きましたが、
その分野で働いていることを変だと思いました。
私はまだレースカーのドライバーになることを
熱望していました。
「必要ならどんな手段でもとってみよう。」
と私は決心しました。
それで私はドライビングのインストラクターになりました。
またレースのスポンサーを得るため
数百の会社を訪問しました。
初めてレースを見た経験の5年後、
ついに私はデビューするチャンスを手に入れました。

私は、より速く運転するため練習を続けましたが、
怖くてアクセルを床まで踏み込むことができませんでした。
「チキン(臆病者)め。
 おまえは絶対レーサーになれないだろう。」
とメカニックが私にむかって大声でどなりました。
「当たってくだけよう。」と私は思いました。
私は目を閉じ、アクセルを床まで踏み込みました。
目を開いたとき、スピードメーターは、
時速200km以上を示していました。
私はこの経験を通して、
ついに自分の限界を乗り越える勇気を手に入れました。
(注釈:アクセルをベタ踏みする時は、
一瞬たりとも目を閉じていてはいけません。
目を開ける前に天国に行きます。)

WORLD TREK2 L6 夢に向かってレース (2)

Part 3

デビューしたその年に、
私は日本で3つのレースで優勝しました。
その翌年、イギリスのフォーミュラーチームに
加わらないかと打診されて、
私はそれを受け入れました。

フォーミュラーレースは、
私が日本で経験していたレースとは
全く違っていました。
フォーミュラーカーは、
純粋に速さのために設計されています。
それを運転するためには、
多くの身体的能力(強靭さ)が要求されます。
私のライバルは、経験豊かな男性ドライバーです。
その上、私は英語能力がお粗末だったので、
チーム(の人)とうまくコミュニケーションがとれませんでした。
私が最初のフォーミュラーレースで最下位に終わったことは、
驚くべき事ではありません(当然でした)。
私はとても落胆して、涙をこらえられませんでした。

「落ち込んでいても、意味がない。
 ポジティブ(積極的)になれ。
 現実に向き合い、
 おまえができること(をすることに)に集中しろ。」
と、私は自分に言い聞かせました。
身体能力を鍛えるため、
私は厳しい練習プログラムを始めました。


Part 4

レース中のチームメンバーとのコミュニケーションは
とても重要です。
コミュニケーションの一つのミスが、
事故を引き起こすことさえあります。
私は、英語を話す技能を上達させることが
不可欠だと思いました。
チームのガレージを毎日訪れて、
できるだけ多くチームメイトに話しかけました。
私は、彼らがよく使う単語や表現を学びました。
私たちがうまくコミュニケートすればするほど、
レースのできもよくなっていきました。

2005年私はイギリスのF3国際レースに参加しました。
それはレースを始めた時からの私の夢でした。
のちに私は世界中で
多くのメジャーレースに参加しました。
2014年私は、
世界選手権の表彰台に立った最初の女性となりました。

私は、経験を通して大切な事を学びました。
もしあなたが本当にやりたいことを見つけたら、
ひたすら全力で取り組み、ベストを尽くしてください。
あなたができると信じるなら、本当にできるのです!

WORLD TREK2  L7  ハロウィーンの起源 (1)


Part1

あなたがたのほとんどは、
10月31日がハロウィーンであることを知っています。
オレンジと黒という色が、
ハロウィーンと関連があることもまた知っていますね。

なたがたはまた、ハロウィーンを
アメリカ合衆国と関連付けるかもしれません。
実際、ハロウィーンは
アメリカの子供たちが大好きな大イベントです。
家々や、商店、レストランが、
カボチャのちょうちんのような薄気味悪いものや、
コウモリ、黒猫、模造のクモの巣などで飾られます。
魔女や幽霊に仮装した子供たちが、
近所を歩き回ります。
中には、「お化け屋敷」に変わる家もあります。
学校でのハロウィーンもまたエキサイティングです。
生徒たちだけでなく、
先生方の中にも仮装して学校へ行く人がいます。

ハロウィーンは、
多くの謎めいたシンボルや風習と結び付いています。
あなたがたは、それらのシンボルが何を意味し、
それらの慣習がどのようにして始まったか知っていますか。


Part2

ハロウィーンの楽しいことの1つは、
ほかの誰かや何かになれることです。
人びとは仮装するのを楽しみます。
魔女、幽霊、さらには漫画の登場人物、動物、
食べ物にさえなるかもしれません。
最も個性的な仮装に
賞が与えられるコンテストが開かれます。

しかし、衣装を着る本来の目的は、
楽しむためではありませんでした。
それは衣装を着た者を悪霊から守るためでした。
実は、ハロウィーンは、
季節の移り変わりを祝うための、
伝統的なアイルランドの祭りから起こりました。

古代のアイルランド人にとって、
10月31日は大みそかでした。
その日は、
生きている者たちの時である夏の終わりで、
死者の時である冬の始まりでした。
この日には、
死者の魂が現れると信じられていました。
それらの中には、
人びとが怖れる悪霊がありました。
それらの悪霊から隠れるため、
人びとは自分を悪霊のように見せる衣装を着ました。

WORLD TREK2 L7  ハロウィーンの起源 (2)

 
Part3

もう1つのハロウィーンの風習は、
夕方に見られます。
仮装した子どもたちが、
近所の家の玄関をノックして、
大声で呼びかけます。
「お菓子をくれないといたずらするぞ」
人々は子供たちを
お菓子でもてなさなければなりません。
もしそうしなければ、
人びとは子どもたちから「悪ふざけ」、
つまりある種のいたずらをされるかもしれません。

この「お菓子をくれないといたずらするぞ」の習慣は、
「死者の慰魂」と呼ばれる古いヨーロッパの習慣から
発展したと言われています。
11月1日は、死者の魂が
地上に戻ってくると考えられている日でした。
その魂を敬いたたえるため、
人びとは「ソウル・ケーキ」と呼ばれる
小さな丸いケーキを焼きました。
「慰魂者」と呼ばれる、死者の代理をする子どもたちの一団が
しばしば、死者への祈りを口ずさみながら、
家を一軒ずつ回りました。
死者の魂を慰めるため、
ソウル・ケーキが、慰魂者に与えられました。


Part4

かぼちゃちょうちん、
もしくは「ジャックランタン」は
ハロウィーンで最も人気のあるシンボルで、
アイルランドの民話に由来しています。

大昔、ジャックという名の
ケチな農民が住んでいました。
彼は、悪魔をだまして木によじ登らせ、
悪魔が下に降りてこられないように
木の幹に十字架を置きました。
そしてジャックは悪魔と取引きして、
こう言いました。
「私の魂を奪わないと約束するんだ、
 そうしたらおまえを下に降ろしてやろう」

長い年月が過ぎ、ジャックが死んだとき、
彼はよい人生を送ってこなかったので
天国に入るのを許されませんでした。
しかも、彼は悪魔と交わした約束のために、
地獄にも入ることも許されませんでした。
ジャックには行くところがありませんでした。
悪魔はジャックにろうそくを放り投げ、
こう言いました。
「これは、おまえがどこへ行こうとも
 その道を照らしてくれるだろう」
ジャックはカブをくり抜き、
その中にろうそくを据えました。
それからジャックは、
この世を果てしなくさまよい始めました。
のちに、アイルランド人の移民が
合衆国にやって来たとき、
彼らはカブの代わりに
カボチャを使い始めました。

これらが、ハロウィーンの背景にある
いくつかの物語です。
しばしば祭りには、
その背景に興味深い物語があるものです。

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